【Glory】第3話:夢を語る資格もなかった中学時代

GLORY

最悪でした。。。

何かと言えば中学の点数が悪すぎて
毎日、母親からガミガミを怒られていました。

「勉強が出来なければ、プー太郎になる!」
*結果的にはプー太郎どころか、
もっとスゴイ事になったのだが(笑)

父は特に何も言いません。
というか、あまり覚えていません。

そんな経緯で、毎日
塾に行かされる事になりました。

とは言っても基礎学力がありませんでの、
いきなり中学3年の勉強をしても、
チンプンカンプンです。

この時は野球にハマっていましたので、
別に勉強が出来なくてもいいや〜
なんて思っていました。

当時の私には夢を語る資格などありませんでした。

なんとなく野球選手を目指して
たまたまテレビで見た、当時巨人の投手だった

桑田真澄の自主トレーニングの映像を見たり
今、メジャーで活躍しているオリックスイチロー選手の
トレーニングしている姿に影響を受けて

筋トレの本や野球のトレーニング本ばかり
漁り、やたら道具を揃えて
素振りだの、筋トレだの、
ティーバッティング等をやっていましたが

特に野球選手になりたかったか?
と言えば、それも違った感じでした。

新しい知識や実際にそれを行うことで
自分は成長している実感を得たかったのだと思います。

野球選手になりたいという漠然とした夢は
「高校選手も坊主にならなければいけない」
という何とも、くだらない理由であっさり辞めました。

散々坊主だった自分にコンプレックスがあったので
もう丸坊主なんてコリゴリでした。

ぶっちゃけ高校なんて、
どこでもよかったと思っていました。

ただ、兄貴2人が、同じ高校で
毎朝と毎晩バスに1時間揺られて
通っているのを知った時に、

面倒くさいので、1番近くの高校を
探したくらいです。

「君は絶対合格しない」

両親が通わせてくれた塾のおかげで
なんとか、どこかの高校に受かるレベルには
到達する事が出来ましたが、

いざ受験する際、中学の先生からは
「希望している1番近くの学校には受からない」
と言われていました。

そりゃ、その通りだと思いました。笑

まあ、でも取りあえず受けたわけですが、
案の定、1番近い高校は落ちて、

結局、兄貴2人と同じ高校に合格をしたのですが、
通学が遠くて、ウンザリしている兄達の姿が
印象に残ったのか?その高校に通う事がすごく嫌でした。

なので、希望していた1番近くの高校には、
二次試験があると聞いたので、
最後の二次試験にかけてみる事にしました。

*ちなみに高校の二次試験というのは、
ものすごく合格率が低いと言われていました。

まあ、そりゃそうです。

私立の高校からしたら
学校を経営しなければいけないので、
評判、大学進学率、運営費用を考えると
最後の二次試験なんていうのは、

極端な言い方をすれば、
おこぼれや、運がなかった子達への
最後のチャンスみたいなもので、

定員が埋まった高校側からすれば、
オマケのような試験です。
*結構、長崎では有名な高校でしたし。

まあ、受けるだけ受けようくらいな気持ちと
とにかく、時間のかかる通学をしたくないと
思って受けることにしました。

確かその年は13人前後くらいだったかと思います。

テストを受け、最後の面談がありました。

面談とか初めてだったので、
その当時、何を思ったかわかりませんが

どうせ落ちるなら何かインパクトを
残したい思っていました。

とにかくハッタリをかまそうと。

最初は最大限礼儀正しくしていましたが、
唯一覚えているのは、

「この学校に僕を入学させて頂ければ
大学進学や勉強等を頑張りますので、
学校の株が上がります!」

と言い切ったことです。笑

なんて事を言っているのだろう。
と書きながら思いましたが、

面談をしてくれたおっちゃん先生達から
すごくいい感じの高評価的な言葉をもらい

「これはひょっとすると?」

と思っていたら、

その面談の一言で合格の決め手だったそうです。
(あとから聞いてみると、テストの成績は、
かなりギリギリだったそうですが。笑)

ハッタリかましてよかったと思いましたが、

もう、こんなギリギリの苦労は嫌だと思ったので、
確実に楽して大学にいける方法を模索し始めました。

それが指定校推薦という方法でした。

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